天と地のあいだのはなし

その8の2:空と風のはなし



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● 第二章 灼の月

 灼の月、七日。
 レミットのもとに迎えが来た日から、かれこれ十日が経とうとしていた。
 しかし、レミットは日に日に元気をなくしていた。最初のうちはいつものよ
うにやんちゃぶりを発揮して反抗していたが、それも無駄なことらしいと悟る
と、レミットは部屋に引きこもりがちになっていった。そして今では食事にも
出ようとせず、ただじっと、部屋の中でぼんやりとするようになっていたので
ある。
 朝。
 日が昇り、外では鳥が時を告げている。
 レミットは前夜、一睡もできなかった。
 自分の生まれを恨み、自分の性を呪いながら。
「みんな、わたしのこと子供扱い……もう……やだ……」
 レミットは泣いてはいなかった。
 ただ力無くベッドのはしに座り込んだまま、どこを見るともなく目線をさま
よわせていた。
「やだよぉ、リュウイチ……帰ってきてよ……」
 枕をぎゅっと抱きしめながら、かすれるような声でつぶやいた。
 不意にノックの音がした。遠慮がちなノックだったが、レミットには雷鳴の
ように響いた。
 ノックの主はアイリスだった。
「姫様、起きてらっしゃいますか。入りますよ」
「……やだ」
 レミットは、閉じられたままの扉をじっと見ながら答えた。
「姫様……」
 アイリスが心配そうな声で呼びかける。
 レミットはそれに答えず、ただじっと枕を抱きしめていた。そして扉を見つ
め続けた。
 どれだけ扉だけを見つめていただろうか、レミットは、ふっと扉の向こうの
アイリスの姿が見えたような気がした。いつものように、ぴかぴかに磨きあげ
たワゴンに、冷たい水の入った水差しと白湯の入ったポット、曇り一つないグ
ラスを載せて……そして……うつむき加減でじっと扉の前にたたずんでいるア
イリスの姿が。
 レミットは扉の向こうに小さく声をかけた。
「アイリス、まだ……いる?」
「はい、姫様」
「ねえ、そこにはアイリスしかいない?」
「わたくしだけですわ、姫様」
 アイリスが静かに答えた。
 レミットは扉をそっと開くと、アイリスを中に入れた。
 アイリスは、レミットの様子から一睡もしていないことを見て取ったが、そ
れに気づかない振りをした。
「おはようござます、姫様」
「おはよ……アイリス」
「姫様、たまには外にお出にならないと体を壊してしまいますよ」
「……そしたら帰らなくてよくなるかな……」
「ダメです!」
 アイリスの激しい口調にレミットはびくりと体を震わせた。
「あ、し、失礼しました。でも、そんなことおっしゃらないでください、姫様」
 沈黙が二人の間に流れる。
 その沈黙を破ったのはレミットだった。
「ねえ、アイリス……」
「何でしょう、姫様」
 アイリスはレミットの言葉をじっと待った。
「わたし、わたし……女の子に生まれなければよかったのかな……」
 アイリスはぎゅっと身をこわばらせた。
「姫様……」
「そしたら、こんな気持ちになんて……ならなくてよかったのに」
 今度は少し長い沈黙……そして、アイリスは小さな声でつぶやいた。
「でも、それではあの方を想うこともできませんわ」
 レミットは答えなかった。
「そうでしょう?姫様」
 瞬間、レミットは細かく震えた。そして、ぎゅっと拳を握りしめたかと思う
と、レミットはアイリスの胸に飛び込み、声を上げて泣いた。
「アイリス……アイリスぅーーーー!!!」
 何日も耐え忍んだ想いが、ゆっくりとすすり泣きに変わる……アイリスはそっ
とレミットを抱きしめると、そっと髪をなでた。
「アイリス……」
「姫様……」
「わたし……わたし……」

        §    §    §

 三日月亭は、パーリアの街外れにある小さな宿屋である。
 この三日月亭、東から街道沿いにパーリアに入る旅人たちを最初に迎えられ
る場所ということで、夕方ともなるとなかなかのにぎわいを見せる宿屋である。
旅人だけでなく、パーリアの住人たちも美味い料理と気のいい主人の人柄に惹
かれてか夜になるとよくこの店に集まっては酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打っ
ている。そして遠方からの旅人たちの聞き慣れない訛や珍しい服装が、何の変
哲もないこの宿屋にエキゾチックな雰囲気を添えていた。ことに最近は、レミッ
トを迎えに来たマリエーナ王国の衛士たちでにぎわっている。とはいえ、にぎ
わっているということで言えば、街にある青い小鳩亭の方も同じようなものだ
が。
 アイリスがカレンに呼ばれてこの店に来たのは、陽もとっぷりと暮れた頃の
ことだった。
 カレンは、ざわざわとした店の雰囲気に紛れるように奥の方のテーブルに陣
取っていた。アイリスを待っていたのは、カレンとアルザだった。アイリスが
私服で来ていたせいもあるのだろう、何人かいたマリエーナ王国の衛士や召使
いでアイリスに気づいた者はいないようだった。
「こんばんは」
 アイリスが声をかけると、二人は顔を上げた。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「よっ!もう食うとるで!」
 テーブルの隅にはほとんど減っていない白ワインのボトルと、空になった皿
が何枚かあった。皿がそれほど積み上がっていないところを見ると、どうやら
食べはじめてから、まだそれほど経ってないらしい。
「で、あの、今日は?」
「とりあえず座ってよ。ワインでいい?」
「え、あ、はい」
 カレンは野菜スティックの皿からアスパラガスをつまむと、マヨネーズソー
スをちょっとだけつけてパクついた。
「ちょっと小耳にはさんだんだけど、レミットちゃん、結婚させられるんだっ
て?」
 アイリスはちょっとびっくりした顔をしたが、すぐにもとのニコニコ顔に戻っ
て答えた。
「耳がお早いんですね」
「まあ、わたしも顔が広いからね、いろいろと聞こえてくるのよ。それに、単
に迎えが来ただけにしちゃ仰々しいなとは思ってたのよねえ」
 注文を取りに来たウェイトレスにワイン用のグラスと白身魚のソテーを一皿
頼むと、カレンは続けた。
「アルザもね、その話、聞いちゃって。で、いきなりアイリスに訊くのもなん
だから、ってわたしに相談しに来たわけ。やっぱり心配じゃない。それで来て
もらったの。忙しいのにごめんなさいね」
「そうだったんですか。すみません、気をつかっていただいて」
「けっこうショックだったんじゃない?あの子……」
 アイリスはレミットの様子を思いながら、なんと形容したものかと思った。
レミットに仕えるようになって以来、あんなレミットを見るのはもちろん初め
てのことだったからだ。
「ええ……なんだかすっかり元気がなくなってしまわれて……。仕方ないとは
思うんですが」
「無理矢理結婚だなんて、ねえ。まだ十四でしょ」
「王族としてはそれほど早いってこともないんですけど、やっぱり……」
 アイリスが次ぐべき言葉に迷っていると、カレンはぽつりと言った。
「そうね。まだ想ってるでしょうからね」
 アイリスはこくりとうなずいた。
 不意にアルザがまわりくどく聞こえる二人の会話に飽きたように口を開いた。
「あーあ、リュウイチがここにおったら簡単なんやけどなぁ」
 その言葉を聞いた瞬間、アイリスは自分を閃光が貫いたような気がした。ア
イリスの視線がアルザに釘付けになる。だが、アルザはそんな視線に気づかず
に続けた。
「レミットが、これがうちの旦那や!って言うてまえばええんやろ?それでみ
ーんなご破算や」
 アルザはそう言って大げさに両手を広げてみせる。
「けどまあ、おらんもんを言うてもしゃあないしなぁ」
 言うだけ言うと、アルザはギーフィーの香草焼きを一切れパクついた。
「私たちにできることがあればいいんだけど……コトがコトだし」
「あ、あの、そのことなんですけど今の……」
 アイリスが口を開きかけたそのときだった。店の中のざわめきの質が一変し
た。
 あちこちのテーブルにいたマリエーナの兵が立ち上がり、直立不動の姿勢を
とった。アイリスもそれにならって立ち上がる。
 扉を開けて入ってきたのは、レミットの祖父、マリエーナの先王だった。平
服を着てはいたが、面識のない人間にも、その雰囲気でわかる。
「あー、かしこまらんでもよい」
 先王は笑いながら店の中を見渡した。
「忍びで来たというのに、これでは何にもならんな」
 兵たちは席につきはしたものの、まだ空気は堅苦しかった。
「奥の方がよさそうじゃな。オヤジ、酒といつものをたのむ」
「へい」
 先王は、店の奥、火の入っていない暖炉のわきに空いているテーブルを見つ
けた。そこはアイリスたちが陣取っている席のすぐそばだった。
 アイリスは、先王を立ち上がって迎えた。
「ん、アイリスか。よいよい、座れ」
 先王は、つっとテーブルを見渡した。
「ふむ……お嬢さん方、ご一緒させてもらってよいかな?」
「ええ、どうぞ」
 カレンが答える。
 アルザは口いっぱいに肉をほおばりながら、ぶんぶんとうなずいた。
「このお嬢さん方は?」
「こちらがカレンさん、そしてこちらがアルザさんです。お二人とも、姫と私
が以前の冒険で世話になりました方たちです」
「ほう、それはそれは。ふむ……レミットが世話になったな。礼を言うぞ」
 やがて酒と料理が出され、話が弾みはじめる。
 先王に二杯目の酒が出されてしばらくたったころ、アルザが先王をじっと見
ていたかと思うと、不意に口を開いた。
「なあなあ、おっちゃん。レミットのほんまもんのジイちゃんなんやろ?」
「ア、アルザさんっ」
 アルザのおっちゃん呼ばわりにおろおろするアイリスを見て、先王は苦笑い
した。
「ああ、そうじゃ。レミットは正真正銘、わしの孫娘じゃ」
「せやったら、なんでレミットをいじめるんや?」
「ん?」
 先王はアルザの突然の問いかけにとまどった顔をした。アルザはそんな先王
にたたみかけた。
「うちのじいちゃんは、うちのことめちゃめちゃ可愛がってくれたで。じいちゃ
んって誰かてそうや思とったけど、ちゃうねんな」
「アルザちゃん、よしなさい」
 カレンがたしなめる。
「せやけど……」
 困ったような顔の先王は、苦笑いしながら髭をなでつけた。
「いじめるとは穏やかじゃないな」
 思い当たる節がない先王は、アイリスの耳元に声をひそめて聞いた。
「アイリス、何の話だね。レミットをずっとお前と二人きりにして放っておい
たことか?」
「いえ、その……姫様のお輿入れのことで……」
「なんじゃ、そのことか」
 先王は、ひとしきり笑うとアルザの方に向き直った。
「気にかけてくれてすまんな。ま、あれもまだ遊びたい盛りじゃろうが、あれ
でも王女でのう。そうもいかんのだ」
 その答えに、もちろんアルザが納得するはずはない。惚れた男がいるのに、
他のところに無理矢理嫁に行かされるなど、誰が納得するだろうか。
「けど、せやけどなあ、レミットは……んぐっ」
 言いかけたアルザの口をカレンがあわてて塞ぐ。
「アルザちゃん、だめよ。あの子は王女様なんだから……ねっ」
 カレンはアルザをにらみつけながら、優しい口調で言った。
「んぐんぐ……」
 アルザはカレンの手をふりほどこうとしたが、びくともしない。それどころ
がギリギリと締め上げてくる。
「ねっ、わかってあげなさい、アルザ」
 あごを締め上げられる痛みに、アルザはやっとの思いでうなずいた。
(……カレンってば、むちゃむちゃ痛い……)
(あはは、ごめんね)
「カレンさん、どうかしました?」
 二人が小声で話していると、アイリスが心配そうに聞いた。
「ううん、なんでもないのよ。ところで先王様、マリエーナ王国ってどんな国
なんですか?」
 カレンがさりげなく話題を変える。カレンの問いに、先王はあきれたような
顔でアイリスを見た。
「なんだ、話しておらんのか?」
 先王の問いかけに、アイリスはぱっと困惑の表情を浮かべた。
「あ、そ、そういえばほとんど話したことがございませんでしたわ」
 ひとしきり先王は笑うと、ふっと遠い目をしたように見えた。
「まあ、一言で言えば何もない国じゃな。あるのは深い森と山……レミットが
帰って来たがらんのも分からんではない」
 先王はぐいっと酒をあおった。
「でも先王様、何もないのは悪いことではありませんわ」
 カレンが言葉をつなぐ。
「わしもそう思う。ははっ、歳かのう」
 ぎしぎしと椅子をきしませながら先王が笑った。
「あら、先王様も意外と失礼ですわね、私ももう歳と?」
「ははっ、すまん。そうは言うとらんよ。ただ、まあ本当に何もないからのう。
若いお嬢さん方には退屈だと思うぞ」
 にこやかな談笑が続く中、アイリスは胸の内でただ一つのことを考えていた。
(どうしてそれに気づかなかったんだろう。リュウイチさんを、もう一度この
世界に……もう一度……)

        §    §    §

 ティナ=ハーヴェルが、街道沿いの宿、三日月亭の一室に呼ばれたのは、レ
ミットたちの出発を翌朝に控えた夕暮れ時のことだった。
 アイリスに指定された部屋を訪れると、そこにはアイリスの他にも、前の冒
険で一緒だった仲間たちも集まっていた。ウェンディ、若葉、キャラット、カ
レン、そしてアルザ。
 旅の仲間のうち何人か姿が見えなかったが、それでもどうやらティナが最後
の一人ということのようだった。
「アイリスさん、どうしたんです?明日はもうレミットさんの出発でしょう?
準備とか、いいんですか?」
「あの……今日はみなさんにお願いがありまして……」
「はい、何でしょう?」
 アイリスの口にしたそのお願いは唐突なものだった。
「ティナさん、ウェンディさん、若葉さん……」
「はい」
「なんでしょう?」
「これから、ある人に会っていただきたいのです。そして……その人が何を言っ
ても、はいと答えてください。お願いできますか?」
 面食らって言葉を失ったのは名指しされた三人だけではなかったが、アイリ
スの真剣な目に、ティナは軽く息をついてから静かに答えた。
「訳があるんですね」
「今は説明している時間がありません。無茶なお願いなのは十分承知していま
す。でも、でも……」
 アイリスは言いかけて言葉に詰まると、黙り込んでしまった。
 そして短い沈黙……
「分かりました」
 沈黙を破って最初に答えたのはウェンディだった。
「あのぉ、ほんとうに私たちでよろしいのでしょうか?」
 若葉が自信なさげに聞いた。
「これはみなさんにしかお願いできないんです、お願いします……」
 アイリスは思いつめた表情をしている。
「大丈夫よ、若葉ちゃん。私たちもついてるし」
 ティナはアイリスの心中を察し、若葉に声をかけた。
「そうそう、なんとかなるわよ」
 ウェンディも心配そうな若葉に声をかける。
「……そうですわね」
 励ましてくれる二人を見て、ようやく若葉は笑みを取り戻した。
「では、よろしいですね?」
 アイリスの問いに、三人はこくりとうなずいた。それを確かめると、アイリ
スは部屋の隅にある作りつけのクロゼットを開けた。
「まずは、これに着替えてください」
 そういってアイリスが取り出したのは、アイリスとお揃いの、三着のメイド
服だった。
「だいたいぴったりだと思うんですけど……」
 ティナたちは最初、唐突な展開に驚き、顔を見合わせていたが、やがてこく
りとうなずくと、それぞれ着ていた服に手をかけた。
 小さく音を立てて、するりと服が床に落ちる。
 アイリスは下着姿もあらわな三人の間を行ったり来たりしながら着替えを手
伝っている。
「へー、けっこう可愛いじゃない。似合う似合う」
 カレンはそう言って笑っている。
「いつサイズ計ったんですか?ほんとにぴったり……」
 ティナは、渡されたメイド服のあまりのちょうどよさに驚いていた。同じく
若葉も驚いた様子だ。
 ただひとり、ウェンディがどんよりと落ち込んでいる。
「どうせ私は胸がないです……」
 内容より何より、ウェンディのその情けない声に、カレンとアルザが声を立
てて笑った。
「え?あ、ご、ごめんなさい。あとでサイズつめますね」
「きついよりはいいと思うけど?」
 笑いをこらえながらカレンが言う。
「ひどいです、笑ったりして。どうせ……どうせ、胸のある人にはわからない
んです……」
「ウェンディもそのうち好きな人ができれば大きくなるって」
 カレンが言う。
「……いやらしいこと言わないでください」
「ふーん、そう?別にやらしくなんかないと思うけど?」
「それに、彼氏なんか欲しくありませんから」
 と、ウェンディのいつもの口調。
 その言葉に、カレンはにやっと笑った。
「ま、そう言ってる娘に限ってさ、いっぺん彼氏できるとがらっと変わっちゃ
うのよねぇ」
「……!」
 茶化すように言うカレンをウェンディがにらみつけている。
「あの、すみません……そろそろいいですか?」
 アイリスが遮った。
「あ、ごめんね」
 アイリスの用の邪魔していたことに気づいて、カレンがすまなそうに頬をか
いた。ウェンディもムキになったのが恥ずかしいのか、あわてて着替えを済ま
せた。
「それではみなさん、くれぐれもよろしくお願いします」
 アイリスが深々と頭を下げた。

        §    §    §

 着替え終わった三人は、アイリスに案内されて同じ三日月亭の別の部屋へと
向かった。その部屋には、頭に白いものの混じっている紳士が待っていた。
 アイリスは老紳士を三人に紹介した。老紳士はレミットを小さな頃から面倒
見てきた執事だという。
「アイリス、この者たちか?姫の新しい侍女に雇ってほしいというのは」
「はい」
「おまえたち、名前は?」
「ティナ=ハーヴェルです」
「ウェンディ=ミゼリアです」
「紅 若葉ともうします」
「……」
 老執事はじろじろと三人を見ていたが、やがてアイリスに言った。
「ふむ……よかろう。これからちょっと長い旅になるからな。おまえ一人では
何かと大変だろう」
「す、すみません」
 アイリスが恐縮したように頭を下げる。
「気にするな。それに、見知った顔がいた方が姫様も気が紛れるだろう」
「そうですね、わたくしもそう思いますわ」
 若葉が何気なく相づちを打った。
「やはりそうか」
 ぼつりとつぶやいた老執事の言葉に、いきさつを隠していたアイリスは顔を
真っ赤にした。しかし、当の若葉は何が起こったのか分からない様子でぽかん
としている。
「も、申し訳ありません」
 老執事は小さく笑った。アイリスは、気まずそうにうつむいたが、彼は特に
責める風でもなく言った。
「姫様のそばに見ず知らずの人間を使いたがるおまえとは思えんからな。まあ、
仕事がちゃんとできれば、私はかまわんよ。そのへんはおまえが選んだ者たち
だ、大丈夫だろう」
「では、彼女たちをよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げたアイリスに、執事はけげんそうな顔をした。
「一緒に戻らないのかね?」
「すぐに戻ります。ただ、ここを発つ前に片づけておかないといけない用があ
と一つありますので」
「そうか、では姫にはすぐに戻ると伝えておく」
「はい」


 そのままアイリスを三日月亭に残し、ティナたち三人は老執事に連れられて
レミットの家へと向かった。途中、三人はとりあえずの心得を聞かされていた。
「細かな話は後でまたするし、アイリスからも聞けばよいがな、まずは先王様
やレミット姫様の前ではあまり感情を露わにせぬように注意することだ。特に、
怒ったり不安そうにしたりするのは、お仕えする方に失礼となる。とりあえず
それだけ気をつけるように、な」
「はい」
 三人は神妙な顔つきで彼の言葉を聞いていた。アイリスが普段どれだけ気を
つかっているかを想像すると、ティナはちょっとだけ先が思いやられた。すぐ
横を歩いているウェンディは小さくため息をついている。
 ティナは何度かレミットの家を訪れたことがあったが、衛兵たちがのんびり
とではあるが周りを警護しているせいで、なんだか初めて行く家のように感じ
ていた。
 レミットの家の応接間には、レミットと先王のほかに、側近らしき男もいた。
先王と側近は、旅立ちを前に、地図を広げて何か打ち合わせをしている最中の
ようだった。
 その部屋はもともと普通の家の客間なので、部屋はあまり広くない。メイド
服姿のティナたちを見て、レミットは驚いた顔を隠さなかったが、道すがら言
われたとおり、三人は平静を装った。先王たちはティナたちに気を取られ、レ
ミットの驚きに気がついてはいないようだった。
 ティナたちは平然とした顔ですっとお辞儀をした。
「その者どもか。レミットの新しい侍女たちというのは」
「さようでございます」
 先王の問いかけに老執事が答えた。
「またしても下賤のものどもが……」
 ぶつぶつと文句を言っている側近を、レミットがキッとにらみつけた。
 レミットに仕えているアイリスも平民の出で、国にいた頃は何かと言われて
いたのだ。ティナにもその側近の声は聞こえていたが、特に気にした様子も見
せず、レミットに挨拶した。
「レミット様。お目通りがかない、恐悦至極に存じます。わたくしども一同、
姫のお役に立てるよう努める所存にございますゆえ、なにとぞわたくしどもを
側に置いていただけますようお願い申しあげます」
 ティナのその隙のない振る舞いに、レミットを始め、座にいた一同は面食らっ
た様子だった。ちょっとの間ぽかんとした顔をしていたレミットだったが、ふっ
とティナと目が合うと我に返り、あわてて答えた。
「ゆ、許す。そなたらには、今日からわらわの身の回りを任せることとする。
細かいことはアイリスが戻り次第聞いておけ。よいな?」
「ありがとうございます。姫のお役に立てること、とても嬉しく思います」
 レミットはすっと右手を挙げた。
「うん。さがってよい」
 ティナは深々と一礼したが、顔を上げる瞬間、レミットに小さくウィンクし
て見せ、そして心の中でつぶやいた。
 (大丈夫、わたしたちも一緒だから……)
 レミットは無言でうなずき返した。

        §    §    §

 老執事がティナたち三人を連れて出ていくと、アイリスはカレンたちを待た
せている部屋に戻った。
「なあなあ、アイリス、うちらは何すればええのん?」
「えっと、全員がそろってからお話ししようと思ってたんですけど」
 カレンは部屋の中を見回した。確かに、当時の仲間のうち、何人かはここに
いないが、それぞれ理由があったはずだった。
「まだ誰か呼んでるの?」
「ええ、あとは……」
 アイリスが言いかけたそのときだった。ばたんと大きな音を立てて入り口の
扉が突然開き、部屋にいる全員の視線が入り口に注がれた。そこには腰に両の
手を当てて、ひとりの男が偉そうに立っていた。
「カイル!」
「わーい、カイルさんだぁ!」
 男の名はカイル=イシュバーン。レミットと同じく、リュウイチの魔宝探索
行でのライバルだった。魔族だが、どうにも人間くさいところがあり、一年に
わたる魔宝探索の道行きでも、アイリスはなんとなく彼を頼りにしている部分
があった。
「お待ちしておりました」
 アイリスがにこにこしながら迎える。
「なーんだ、カイルくんを待ってたのね」
「クン付けはやめろ!」
 すぐムキになるところは変わらない、カレンはくすくすと笑った。
「それにしても、遅刻はだめよ。アイリスさん、君のこと待ってたんだからね」
「ふっふっふ……真打ちは最後に出てくるものなのだ」
「単に時間にルーズなだけでしょ」
「ええい、うるさい!」
 キャラットたちは、カレンとカイルのやりとりを見ながら笑っている。
「それよりも、おい、アイリス!」
 不意にカイルはアイリスの方に向き直った。
「あ、そうだ。ボクたちは何すればいいの?」
「せや。うちらはなんで呼ばれたん?」
「キャラットさん、アルザさん、カレンさん、そしてカイルさん。みなさんに
は、もう一度魔宝を集めていただきたいのです」
 アイリスの希望は半年前の旅の再現、しかし今回の旅で違っているのはリュ
ウイチがいないこと、そして……
「……今度は時間、ちっとはあるんやろ?事情を説明してもらうで」
「実は……」
 アイリスはこれまでの事情をかいつまんで説明した。
「ひっどーい。そんな、勝手に結婚相手を決めるなんて……」
 キャラットがまるで自分の身に降りかかったことのように文句を言う。
「ふん。王族なら当然だろう。それにマリエーナ王国といえば辺境の小国、政
略結婚など当たり前のことだろうに」
 カイルは腕組みしながら吐き捨てた。
「それは、そうなのですが……でも姫様は、まだ……」
「せや。おらんようになったからて、忘れられるもんとちゃうしな」
 アルザがしんみりと言った。そのアルザの言葉に場が沈みかけたが、それに
気づいているのかいないのか、カイルはアイリスに問いかけた。
「で、魔宝を集めたらどうするんだ?あの小娘をリュウイチのところに送るの
か?」
「いえ、リュウイチさんにこの世界に再び来ていただきます」
「なるほどな」
「お二人がリュウイチさんの世界に行かれるのであれば、また魔宝を集めれば
いいわけですし。あの、それで……お願いできますか……?」
「ボク、またみんなと旅ができるんなら行く!」
「うちもや」
「退屈していたところだし、いいわよ」
「今度こそあの暁の女神に大魔王様を復活してもらわねばならんしな」
 四人はきっぱりと答えた。アイリスはレミットがあの旅で得たものの大きさ
と心強さを頼もしく思った。
「ありがとうございます、みなさん……」
 アイリスが少し涙ぐんで四人に礼を言っているそのときだった。
「水くせえな。あたしにも一声かけてくれりゃいいのによ」
 不意に入り口から声がかけられて、アイリスは驚いて振り返った。
「リラさん!」
 扉の陰から顔を出したのはリラ=マイムだった。彼女も魔宝探索行に参加し
ていたのだが、ここしばらくパーリアの街から姿を消していたのだ。
「今までどちらに?」
「へへっ、ちょっとね」
 アイリスの問いかけに、リラはぺろっと舌を出した。
「話はだいたい聞かせてもらったわよ。ま、レミットが嫁に行ったらこの街も
静かになっていいだろうけどね」
「リラちゃん」
 軽口を叩いたリラを、カレンがたしなめる。
「でもまあ、ちょっと静かすぎるかなってね。それにアイツにもしばらく会っ
てなかったしさ」
「リラさん……」
 アイリスの視線が照れくさいのか、リラはぽりぽりと頭をかいた。そして、
腰に下げていた袋の中からごそごそと何か取り出すと、ベッドの上に放りだし
た。
「ほらよ」
 無造作に投げてよこされたそれは、その場にいた全員が知っているものだっ
た。
「青の円水晶!」
 それはガミルの洞窟の奥に眠る第一の魔宝、青の円水晶だった。
「これ、どうしたのよ?リラ」
「へへへっ、金になるかなって思ってね。また取りに行ったんだ」
「ふーん」
 カレンはそれ以上何も言わずにリラと円水晶を交互にながめている。
「すみません」
 アイリスは本当にすまなそうに言った。
「いいって、いいって。それより、条件があるんだけど」
「何でしょう?」
「それタダであげるからさ、必ずリュウイチをこの世界に呼び出してほしいん
だ。その……さ、あいつには、まだ服を買ってもらってないから……さ」
 それを聞いて、カレンはいたずらっぽい笑みを浮かべながらリラを見た。
「な、何よ?」
「ほんとは自分で使うつもりだったんじゃないの?リュウイチクンに会いに行
こうかな、とかなんとか考えてさ」
「そ、そんなんじゃないって!」
 そのあわてぶりがすべてを物語っている、カレンは思わず笑い出してしまっ
た。キャラットもアルザもカイルも笑っている。
「と、ところでさ、ほかのみんなはどうしたのよ」
 カレンは笑いをこらえながら、ティナと若葉、ウェンディがいないいきさつ
を説明した。
「他の二人はともかく、若葉はツラいんじゃないの?」
「はあ、そうでしょうか?」
 アイリスが少し不安そうに聞き返す。
「だって、あの娘、めちゃくちゃトロいじゃない」
「なんとかなるんじゃないの?あの二人にアイリスさんもいるわけだし」
「ならいいんだけど。まあ、飯だけは作らせないことね」
 そう言うと、リラは小さく肩をすくめた。
「で、メイヤーと楊雲は?」
「メイヤーさんは遺跡の発掘に出掛けてしまってて。楊雲さんはふるさとに帰
られたとか」
「うーん、てことは、この五人で残り四つか。レミットが国に帰り着くまで時
間もないし、ちょっと厳しいわね」
 カレンが少し考え込むような表情でうつむく。
「けどまあ、なんとかなるんちゃう?」
「ふん、俺の手に掛かれば魔宝なんぞすぐ集めてやる」
「前回一つしかとれなかったの、誰だっけ?」
「ええい、うるさいぃぃ!」
 リラのつっこみに顔を赤くしながらカイルが反論する。
 そのときだった。
(ポロロン)
 不意にリュートの音が響いた。
「おやおや、みなさんまた魔宝集めの旅ですか」
 ロクサーヌの声。しかし、声はすれども姿は見えない。
 みながきょろきょろと窓の外や入り口の方を見回していると、がちゃりと音
を立ててクロゼットの扉が内側から開いた。
「魔宝と聞けば即参上……って感じね」
「あんた……いったいどこから出てくるのよ」
 リラがあきれたように言うとに、ロクサーヌは平然と答えた。
「クロゼットからですが、それが?」
「さっき見たときはどなたも居られなかったと思うんですが……」
と、アイリス。しかし、ロクサーヌは気にもとめない風だった。
「ははは、そうでしたっけ」
 腕組みしながら見ていたカレンがおもむろに口を開いた。
「はーん、さては……覗いてたわね」
「さあ、何のことです?ウェンディさんの小さな胸なんか見てませんよ」
 カレンはあきれたようにふうっと息をついた。
「第二の魔宝はソーブルの湖ね、ロクサーヌ」
「ええ、そのとおりですよ、カレンさん」
 カレンは、ロクサーヌの答えにゆっくりとうなずくと、部屋を見回した。ア
ルザ、キャラット、リラ、そしてカイルまでが、いまにも飛び出していきそう
な目でカレンを見つめている。
 あとはきっかけが一つあればいい。
 カレンは、すうっと息を吸うと、よく通る声で高らかに言った。
「さあ、行くわよ!」

〜続く〜

その8の3へ


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