「卒業」 ---------------------------------------------------------------------  静寂・・・  ピンと張りつめた空気が心地よい。的がいつもより大きく見える。ぎりぎり まで引き絞られた弦は、解き放たれるや、耳元をひゅうと駆け抜けていく。  矢が的を目指して飛ぶ。一瞬の後、ぱぁんという甲高い音をたてて矢は的の 中心を射抜いていた。  「ふう」  いずみは構えていた弓をおろし、ようやく息をついた。卒業を前に、最後に 八十八学園で弓を引くのだと決めて来ていた。最後の矢で最高の締めくくりが できたことを、いずみは嬉しく思った。  春のやわらかな日差しに照らされた弓道場をじっと見つめていると、初めて 弓を構えた日のこと、初めて的に当たった日のこと、いろいろなことが思い出 されて、少し目頭が熱くなるのをいずみは感じていた。  「もう、卒業か・・・」  いずみは独り、つぶやいた。  この春から住み慣れた八十八を離れて女子大へ進学することに決まっていた いずみは、高校生として残された時間を惜しむように、自らのいた場所に再び 訪れ、できる限り記憶に刻みつけようとしていた。  まるで、自らに記憶させ、その場に自らのことを刻みつけることに、別の理 由でもあるかのように・・・  さまざまな場所の中で、弓道場は自らの3年間の記憶と生活の中心にあった 場所だった。  いずみは知らず目を閉じた。記憶、想い出・・・涙が頬を伝うのを感じてい た。それは心地よい感触だった。  その時だった。  「いずみ」  背後から急に声をかけられて、いずみは驚いて振りかえった。弓道場には誰 もいないと思っていたが、そこにはいつの間にか竜之介が座っていた。いずみ はあわてて頬を伝う涙を拭った。  「いつからそこにいたんだよ?」  「さっき。いずみに悪いからさ、黙って座って見てたんだ」  「・・・らしくないな」  「かもね」  いずみは胸当てを外すと、竜之介の脇に座った。いずみは竜之介が何をしに 来たのかとも思ったが、竜之介についてはそれよりも気になることがあった。 一瞬ためらったのち、いずみは言った。  「どうするんだ?」  「何が?」  「進路だよ」  「どうにかなるんじゃないか」  いい加減な、いかにも竜之介らしい返事に、いずみはくすりと笑った。  「ま、いいけどな」  「いずみは女子大生か・・・思いっきり似合わないな」  「このやろ・・・」  いずみが握りこぶしを振り上げてみせると、竜之介はおおげさに逃げた。二 人は目を見合わせて、ぷっと吹きだした。  しばらく笑っていたが、竜之介はふっと黙り込むとうつむいてしまった。  「進路・・・」  「なんだよ?」  「もう、決めてるんだ」  「ふーん」  「聞かないのか?」  「なんだ、聞いて欲しかったのか」  いずみが笑いながら言った。しかし、竜之介はうつむいたまま黙っていた。 いずみは少し不安になった。いずみはこんな歯切れの悪い竜之介を見たことが なかった。  「竜之介が言いたくないなら、いい。聞かない」  「ああ」  沈黙が流れる。  「なあ、いずみ・・・」  「・・・なんだ?」  「俺、いずみのこと、結構好きだったんだ」  「そんなこと過去形で言うなよな」  「悪い」  「わたしもさ、竜之介のこと、好きだよ・・・」 〜Fin〜