「再会〜友美」 ----------------------------------------------------------------------  3年ぶりの日本の空は狭く、排気ガスの匂いとけたたましい騒音だけがあた りに満ちていた。俺が変わったのか街が変わったのか・・・ふと自分の居場所 がここにはないような、そんな不安に駆られた・・・     §  §  §  昼下がり、喫茶店「憩」に客はなく、いつもと変わらぬ静かな時間をたたえ ていた。扉の開く音に美佐子は掃除の手を止めた。 「いらっしゃ・・・」  顔をあげた美佐子は驚きのあまり手にしていた盆を取り落とした。憩の狭い 店内に乾いた金属音が響く。 「あいかわらずなんだから・・・そこから入っていいのはお客さんだけだって ・・・いってるじゃ・・・」  美佐子はそこまで言って言葉が続かなくなった。涙ぐみながら美佐子は言っ た。 「おかえりなさい・・・りゅうのすけ君」 「ただいま、美佐子さん」  3年ぶりの家は何も変わっていなかった。りゅうのすけが父親を頼って日本 を離れたのは高校を卒業後しばらくしてのことだ。1年ほど父親の手伝いをし ながら考古学の基礎を学んだのち、りゅうのすけは単身イギリスに渡り、ロン ドンで図書館と博物館に通う日々を送っていた。勉強の合間に父親の発掘作業 の手伝いをしているうちにさらに2年という時間が過ぎていった。 「友美ちゃんにはもう会った?」 「いや、これからだけど」 「友美ちゃんには帰るって言ってあるの?」 「ううん。おどろかせようと思ったからね」 「そう。ふふ、きっとびっくりするわね」 「・・・唯は?」 「気になる?」 「いや・・・別に・・・」 「気にすることないわ。あの子もようやくりゅうのすけ君以外の男の子に興味 が出てきたみたいだし」 「なんか想像できないな・・・」  りゅうのすけは思わず苦笑した。3年・・・何かが変わるには短いかもしれ ないが何も変わらずにいるには長すぎるのかもしれない・・・りゅうのすけは ちょっと複雑な気分だった。     §  §  §  りゅうのすけは二階に上がると、3年前まで自分の部屋だった部屋の扉をじ っと見つめた。なにか開けてはならない気がしてならなかった。自分が3年の あいだ求めてやまなかったもの、前に進むために求めることを封じたもの。今 その封を解こうとしているのだ・・・。  意を決して扉を開け、中に入ると3年前とまるで変わらないままの部屋があっ た。その中でただ1つ、色あせたポスターのみが時間の流れを記していた。  りゅうのすけは順に部屋の中の思い出を見やり、そして最後にカーテンの閉 じられた窓をじっと見つめていた。この向こうにはいつも友美がいたっけ・・ ・。この3年のあいだ、友美はいったいどんな気持ちで窓の向こうからこのカ ーテンを見つめていたのだろう、それを思うとりゅうのすけの心は痛んだ。  そう、あの最後の冬休み、あのとき窓辺に腰掛けた友美の姿が今も目に浮か ぶ。  りゅうのすけは時計を見た。3時。友美もじきに学校から戻るだろう・・・ そうしたら会いに行こう。あと少しで友美に会える・・・そう思うとりゅうの すけの中で3年間抑えつけられていた友美への感情がいっきに堰を切ってあふ れてきた。やっと帰ってきたんだ、もうすぐ会えるんだ。りゅうのすけは友美 のことを思うとじっとしてられなかった。カーテンを勢いよく開いたりゅうの すけの目に思いがけない光景が飛び込んできた。 ───友美!  窓辺に腰掛け、こちらを見ていた友美と目が合った瞬間、体に電流が流れた ような気がした。 「・・・りゅうのすけ君・・・りゅうのすけ君なのね・・・」 「友美・・・」  友美の頬を涙が濡らしていく。りゅうのすけも目に涙を浮かべていた。3年 という時間が手のひらの雪のようにとけて流れ去っていく。 「ただいま」 「おかえりなさい・・・」     §  §  §  その夜は二人きりでそっと再会を祝うことにした。  友美に連れていかれた店は、静かな雰囲気のバーで山の写真がずいぶんと飾 られていた。 「ここにいると、りゅうのすけ君のことをいろいろと考えるの」 「あぁ・・・」  チベットやアルプスといった有名どころの写真にまじって南米の山々の写真 もいくつかあった。その中にはりゅうのすけが父親について歩いた山もあった。  りゅうのすけと友美はそっと身をよせあったまま、しばらくのあいだ何も言 葉をかわさずにいた。りゅうのすけは友美の体温を腕に感じ、自分の居場所を やっと見つけたような気がした。  日本に帰りたかったわけじゃない、友美のところに帰りたかったんだ。  りゅうのすけはしばらく静かにグラスを傾けていた。  そっと友美に目をやると、友美もりゅうのすけを見つめていた。そのまなざ しは真剣で、りゅうのすけは友美に何か強い意志を感じていた。 「りゅうのすけ君・・・」  りゅうのすけには友美の考えにうすうす察しがついていた。りゅうのすけ自 身、ずっとこうして友美が側にいてくれたら、と思わずにはいられなかった。 しかしそれが友美を幸せにしてやれることなのか、りゅうのすけには自信がな かった。  りゅうのすけは友美の唇にそっと人差し指をあてて言った。 「だめだ。そんなこと言っちゃいけない」 「私じゃ・・・だめなの?」 「違う!そうじゃない・・・ただ・・・今の俺じゃだめだってことさ」     §  §  §  りゅうのすけがイギリスに戻る日、空港に友美の姿はなかった。無理もない、 友美の決意を聞きもせずに拒絶したのだから・・・。  唯と美佐子に見送られ、りゅうのすけは一人ゲートへと向かった。  ゲート前の待合室はあいかわらずの混雑ぶりだった。りゅうのすけはベンチ に腰掛けると友美のことを思った。こんな気持ちで日本を離れたくなかった。 せめてもう一度友美に会いたい・・・  虚空を見つめるりゅうのすけを呼ぶ声がした。 「りゅうのすけ・・・くん・・・」  この声・・・友美! 振り返るとそこには友美の姿があった。 「私、りゅうのすけ君がだめだっていってもついて行くから。決めたんだ から・・・」  友美の言葉にりゅうのすけの胸が熱くなる。いつの間に友美はこんなに強く なったんだろう・・・りゅうのすけは涙が出そうになるのをこらえて言った。 「友美・・・俺と一緒に・・・来てくれ」  りゅうのすけは友美を抱き寄せると熱いくちづけを交わした。ふたりの流す 涙はそっとまじわり離れることはなかった。 〜FIN〜