「はじめてのずる休み〜いずみ」 ---------------------------------------------------------------------- 和哉は馬にブラシをかけながらチラチラと時計を見やっていた。 「いずみさん、遅いな・・・」 普段なら、とうに馬場に出ている時間なのだが、今日に限っていずみは 姿を見せない。(どうしたんだろ・・・)考えごとをしていたせいでブ ラシが弱いのだろう、馬がもっとしっかりしろと催促する。「あぁ、悪 い悪い・・・」力をこめてブラシをかけてやると馬はまた静かになった。 (ふぅ、まったくお嬢さんとちがってわがままだなぁ。ちょっとは飼い 主を見習えよな・・・)和哉は馬とひとを同じにならべて比較している 自分に気がついて苦笑した。 和哉がいずみに会ってからもう1年になる。このミカゲヤマトはいずみ のクリスマスプレゼントにと篠原の会長、つまりいずみの祖父が見立て たものだ。当初はいずみの父親はあぶないからとずいぶん反対したよう だが、いずみの母はずいぶん乗り気で、結局いずみは乗馬を習うことに なったのだ。以来、週末になるといずみは欠かさずこの乗馬クラブにや ってきて乗馬の稽古をするようになったのである。筋がいいのだろう、 2ヶ月もしないうちにいずみの乗馬姿もさまになってきたことに和哉は 驚いたものだ。 (ま、いずみさんのことだからすぐに来るだろう)ひととおりブラシを かけ終え、和哉は厩舎を出た。 「うぉーい、和哉ー、ちょっと手伝ってくれや!」 年老いた馬がここを離れればそのあとには若い馬が入る。今日は新しい 馬が入る日だ。新しい馬の入厩はいつもひと騒動あるが、今度も例外で はないらしい。 「いま行きまーっす」 こんどの馬は例外でないどころではなく手こずらせてくれた。ようやく 厩舎に入れ、飼い葉をやるとやっと静かになったので二人は事務所に戻 った。 「おやっさん、あいつ、なんて名前なんです?」 「カスミツルギオーってんだ。ま、ちょーっと気性は荒いがあいつはい いぞ」 「はぁ・・・先が思いやられますけどね」 「まったくだ」 さっきまでの大騒ぎを思い出し、二人して大笑いした。 「そういや和哉、今日はお嬢ちゃんどうしたんだ?まだ見かけないが」 「いえ・・・おやっさんには何か?」 「何も聞いてないなぁ。具合でも悪のかな」 「はぁ・・・」 「気になるのか?」 「いえ・・・そんな・・・」 「ま、お嬢ちゃんもずいぶんきれいになったからなぁ」和哉は背中をバ ンと叩かれ少し咳きこんだ。 「そ、そんなんじゃないですよ」 「いいってことよ」 「お、俺ちょっとカスミツルギオー見てきますっ」 和哉はあわてて事務所を飛び出した。いずみに惹かれていないといえば うそになる。しかし、それは恋愛感情というほどのものではないと自分 に言い聞かせていた。(なんたって篠原のお嬢様だもんなぁ・・・)た しかにはじめて会ったときにくらべるといずみはずいぶんきれいになっ た思う。単に17才が18才になった以上に・・・。 和哉はカスミツルギオーに鞍をつけ手綱をつけた。(調教をかねてひと っぱしりしてみるか)・・・もやもやしたものをふりはらいたかった。 さんざん暴れられてへとへとになった和哉がカスミツルギオーを連れて 厩舎に戻ると、そこにはいずみがいた。 「和哉さん、こんにちは」 「あ、いずみさん!」 「今日はごめんね。おじさんに聞いたけど、なんか心配かけちゃったみ たいだね」 ハイともイイエともいえず和哉は難しそうな笑みを浮かべた。 「で、新しい馬が入ったんだって?」 「あぁ、カスミツルギオーっていうんだ」 「ちょっと乗せてもらえるかな?」 「あいつはまだちょっと・・・」 「鞍も手綱もつけてあるじゃない。いいでしょ?」 「いや、それはこれから下ろすところで・・・い、いずみさん!」 和哉の制止も聞かず馬場に出たいずみだったが、ロデオ馬のように暴れ るカスミツルギオーにあっというまに振り落とされてしまった。 「いずみさん!」 和哉が駆け寄ると、落馬したいずみがなんともいえず悲しげな顔をして いた。 「どこか傷めたんじゃ・・・?」 「大丈夫・・・そうじゃないの・・・」 「とりあえず危ないから柵の外に出よう」 和哉はいずみを柵の外に座らせて、じっとしてるように言った。 「とりあえずカスミツルギオーを戻してくるから」 馬場の隅の方でぐるぐる歩き回っていたカスミツルギオーを厩舎に戻す といずみのところに戻った和哉は、いずみが今にも泣きそうな顔をして いるのに気がついた。 「今日・・・なにかあったの?」 和哉が聞くが、いずみは答えない。 「悪いこと?」 いずみは首を振った。 「その反対・・・だったんだけど・・・私・・・」 いずみはさっきまでの出来事を和哉に話した。いずみはどうして自分が 和哉にそんなことを話したくなったのかわからなかったが、話さずには いられなかった。和哉は聞きながら、いずみがきれいになったのは恋を していたからだと思いいたり、すこし胸が痛くなった。 「いずみさん、あんまり無理して相手にあわせない方がいいよ」 「だって・・・」 「その彼だって、素直なままのいずみちゃんの方が好きなんじゃないか な?」 「うん・・・」 「いずみさんだって、彼が無理に映画につきあってくれたとしたらあん まりうれしくないだろ?」 「うん・・・」 「だろ?ま、今日はゆっくり休みなよ。その彼だって、今日のことでい ずみさんをきらいになったりしないさ」 「うん・・・ありがと、和哉さん・・・」 いずみが家に帰ると、門の前にりゅうのすけがいた。 「ど、どうしたんだ?りゅうのすけ」 いずみはりゅうのすけの顔を見てほっとしている自分に気がついた。 (よかった・・・いきなり帰ったのに・・・りゅうのすけ・・・)そう 思うと胸がきゅっと甘く苦しい感じがした。 「いやぁ、ちょっと急用があって」 まるで何もなかったかのように、りゅうのすけは普段の調子で言った。 「急用ってなんだ?」 「いずみ、明日俺と一緒に温泉旅行へ行こうぜ」 「・・・!」 驚きと期待と喜びで頭が働かなくなる。なにを話したのかよくおぼえて いない。ようやくの思いのただひとことを除いて・・・ 「私も、行く」 それはふたりの忘れられない思い出の始まりだった。 〜FIN〜