微笑みの鍵



 窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずり。
 カーテン越しに差し込んでくる朝の日差し。
 そして……

「おはようございます!和也さん」

 そして、メイの元気な朝の挨拶。
 目を開けると、まばゆい朝日を背中に受けて微笑むメイの姿……

「おはよう、メイ」

 いつもと同じ朝。
 最初はちょっと意識してたけど、こんな朝の挨拶にもすっかり慣れた。
 ついこの間まで、僕は一人暮らしだったのに。
 けっこうあっさりと慣れちゃうもんだな。

「ねえ、和也さん」
「なんだい、メイ」
「いえ、何でもないんです……」
「?」

 どうしたんだろ。

「……和也……さん」
「なに?」
「何でも……ないです……」

 あれ、まただ。
 どこか調子、悪いのかなぁ。
 ちょっと心配になってメイを見ると、まるでイタズラした子供のように、僕
の方をちらちらと上目遣いに見ていた。
(なーるほど……)
 珍しいなぁ。生真面目なメイが、ね。
 その様子があんまりにも可愛いので、思わず頬が緩む。

「怒って……ませんか?」
「いや、全然怒ってなんかないけど」

 僕の言葉に、メイが満面の笑みを浮かべて僕を見つめ返す。
 ちょっと照れくさい感じ。

「でも、さ、どうしたの?何かいいことでも、あった?」
「あの、これ、覚えてます?」

 メイが、腰のがまぐち財布から取り出したのは、小さなおもちゃの指輪だっ
た。

「……もちろん、覚えてるよ」

 そう。
 あれはまだ、メイが最初に来たばかりの1/6サイズだった頃のこと……

    §  §  §

 たしか日曜日だったと思う。
 メイと散歩に出たことがあった。まだ、レナちゃんも来てなかった頃のこと
だ。
「和也さん、いっしょにお出かけしませんか?」
 お昼を食べて一休みしているときに、メイが言った。
 それで、河原まで散歩しようということになった。
 日差しは暑かったけど、川を渡ってくる風はちょっと涼しかった。
 メイはふだんアパートの僕の部屋にずっといるから、外に出るのは楽しそう
だった。僕の方もテストとかレポートが一段落していたので、ひさしぶりにの
んびりした気分を満喫していた。
 このあたりは草も生い茂っているから、あんまり人目を気にせずにメイと話
ができる。
 いろんな話をした。僕のこともいっぱい話した。学校のこと、イカリヤを作
り始めた頃のこと……。僕が学校に行っている間のメイの仕事っぷりとかも聞
かせてもらった。
 河原で石を投げて6連チャンしてみせると、ずいぶん喜んでたっけ。


 おしゃべりしたり、いろいろと遊んだり……
 気が付くと、陽が西に傾きかけていた。

「そろそろ、帰ろうか、メイ」
「はい、和也さん」

 メイを肩に乗せて、土手の上の道に戻りかけたときだった。

「あ!ちょっとおろしてください、和也さん」

 夕陽に、何かが光ったといってメイが駆けだした。

「あれ……この辺だと思ったのに……」

 メイが草むらのわきのあたりを探し回っている。
 ふと見ると、半分くらい土に埋もれたそれが目に入った。

「メイ、もしかして、これ?」

 僕がつまみ上げたのは、おもちゃの指輪だった。
 縁日の、出店でよく売られているような、あれだ。
 ガラス玉のところが夕日を反射したらしい。

「あ、和也さん、それです!」

 子供向けの小さいリングだが、1/6サイズのメイが持つと、まるで腕輪のよ
うな感じだった。ちょっと汚れていたが、メイはすごく大切そうにに胸の前に
押し抱いていた。

「今日のお散歩の記念に、持って帰ろうか?」
「いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!和也さん」

 そう言ったメイは、本当にうれしそうだった。


 かすみ荘に帰り着いたときには、すっかり夜だった。
 メイといっしょに、ちょっとだけ遅めの晩ご飯を済ませる。
 片づけを終えてから、メイは一生懸命そのおもちゃの指輪を磨いていた。
 汚れをきれいに拭われた指輪は、きらきらと輝いていた。

「そういえばさっき、記念にって言ってましたけど、『記念』って何ですか?」

 ぴかぴかに磨いた指輪を、大事そうにがまぐちに収めながらメイが聞く。

「字をそのまま読むと、思いを記すもの、って感じの意味だけどね。こういう
のは記念品って言ってね、なにか想い出になるようなことがあったときに、モ
ノの形で残しておくんだ」
「想い出は・・・よかったことだから、全部覚えてるんじゃないんですか?」

 不思議そうな顔のメイ。

「そうだよ。でも、いいこともいっぱいあったら、どうしても昔のこととか忘
れちゃうんだ。メイはサイバドールだから記憶はいつでも呼び出せると思うけ
ど、人間の記憶は完全じゃない。だから、いろんなモノを残しておくんだ。そ
うすれば、あとからそのモノを見たときに、そのときのいろんな記憶や想い出
がよみがえってくるってわけ」

 メイはいとおしそうに、指輪の入ったがまぐちを手で撫でている

「それは『がんばったね』っていうご褒美だったり、『楽しかったね』ってい
う笑顔だったり、いろんな想い出を思い出すための……鍵……だね」

 言い終えて、メイを見ると、なんだか複雑な表情をしていた。
 一瞬の間のあと、メイが僕の指にしがみつくようにしながら言った。

「あの、和也さん……メイ、もっともっと想い出の品が……欲しいです。何が
あっても、絶対に和也さんのことを思い出せるような、そういう……」

 メイが言葉を詰まらせる。

「メイは、何かないと、いつか僕のことを忘れちゃう?」
「いえ、そんなことないです……でも……」
「大丈夫だよ。僕もメイのことは絶対に忘れない。メイも、僕のことは忘れな
い。だから、今日のこの指輪は、今日の想い出として、大事にすればいいんじゃ
ないかな」

 メイは黙って僕を見上げている。

「いつか、メイが僕に想い出の何かを渡すような日が来ないといいな、って思
うよ。だってそれは、メイがいなくなっちゃうってことだから……」

 そっとメイの髪を撫でた僕の人差し指に、メイの小さな手が添えられた。
 言葉にはならなかったが、メイの想いは十分すぎるほど伝わってきた……



 ……この指輪は、そんな想い出の品なのだ。

    §  §  §

 今のメイは普通の人間と同じサイズなので、子ども用のおもちゃの指輪はと
ても入らないが、それでもメイは指輪を大事にしていた。

「ねえ、メイ」
「何ですか、和也さん」
「さっきメイにね、名前を呼ばれて、ちょっとドキドキしたんだ」
「どうしてですか?和也さん。いつもメイは和也さんのこと、和也さんって呼
んでますよ?」
「どうしてだろうね」
「ふふふっ」

 メイが含み笑いをする。

「メイ?」
「それぐらい、メイにだって分かりますよぉ」
「え?」
「それはですね、和也さんがメイのこと好きでいてくれてるからですよ。だっ
て……だって、メイも、和也さんに名前を呼ばれると……その、ドキドキするって
いうか、フワッてする気持ちになりますから……わかるんです」
「……うん、そうだね」

 やわらかな空気が満ちる。
 メイと僕の新しい想い出がまた一つ、その指輪に刻みつけられていく感じが
した。きっとメイもそうだろう。いつか来る「できたらいいな」の、その日の
ための、想い出として……

〜Fin〜



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