天と地のあいだのはなし その1:森と川のはなし ---------------------------------------------------------------------  太陽が西に傾き、かすかに空を赤く染めはじめている。まだ日没まで間があ るはずだが、森の木々が日を遮り、あたりは薄暗くなりはじめていた。  三つ目の魔宝があるという島はまだかなり先のようだ。  しかし、島はおろか海もまだ見えない。とにかくこの森を抜けないことには、 どうにもならないらしい。  リュウイチは肩にずっしりとした荷物の重さを感じながら、切れることのな い壁のような木々の先に目をやった。しかし、道は森の中をずっとのびて、森 を抜ける気配はない。リュウイチはそばを軽々と飛ぶフィリィをうらめしげに 見ながら言った。  「・・・こりゃ、今日中には次の宿場町までたどりつけそうにないな」  「え、野宿するの?野宿?」  「そうなるけど・・・何はしゃいでんだ?キャラット」  「ボク、森で眠るの大好きなんだぁ」  「喜んでるのはあんただけよ」  妖精のフィリィは空が飛べるから上り坂も下り坂も関係ないし、キャラット は森の民フォーウッドである。とにかく元気なのはこの二人だ。しかし、あと の二人、メイヤーとウェンディは少し疲れているようで、昼過ぎからめっきり 口数が減っている。今日歩いてきた道はなだらかな上り坂の続く街道で、旅慣 れてきた二人にとってもかなりつらかったようだ。リュウイチは少し遅れて歩 く二人が追いつくのを待った。  「今日はここらでキャンプするか」  レミットやカイルのことを考えると少しでも先に進んでおきたいところだが、 無理をしても長続きしない。先は長いのだ。うまい具合に、街道から少し入っ たところに木々がとぎれて広くなっている場所が見つかり、キャンプはそこに 張ることになった。  「リュウイチさん、明るいうちに夕食の準備をしちゃいますね」  ウェンディがリュウイチに声をかけた。リュウイチたち4人は、最初のうち 食事当番を交代でやっていたのだが、キャラットの野性味あふれる(というか、 ほとんど材料そのままの)料理や、メイヤーの怪しげな古代人メニューにお互 いが音を上げ、結局一番まともで美味しい料理を作れるウェンディに調理を一 任することになったのだった。  「そうだな。じゃあキャラットとフィリィは適当に材料を集めてきてくれ。 俺は下の沢から水汲んでくるから」  「あの、できればお魚もお願いします」  「おっけー。キャラット、あとで一緒に川に魚取りにいこう」  「うん!」  メイヤーは古文書と何か辞書らしきものを付き合わせながら調べ物をしてい るようだった。  「私、明るいうちに少しでもこの古文書の解読を進めておきたいんですが・ ・・」  「え?あ、う、うん。いいよいいよ。あっちは俺たちでやっとくから」  「すみません」  「あんたに手伝わせると何を食べさせられるか知れな・・・」  リュウイチは言い終わる前にフィリィの口をふさいだ。         §    §    §  日が暮れて森が静まり返ると、あたりには薪が燃えてはぜる音と、ウェンディ が料理を作る音だけが響いていた。  メイヤーは火のそばで自分のノートに何かを書き込んでいた。キャラットと リュウイチは装備の手入れをしている。  「リュウイチさん、みなさん、ご飯できましたよー」  ウェンディの呼ぶ声に、メンバーは火の回りにそれぞれ座った。見たところ、 今日のメニューは魚を焼いたのと、何かのスープらしい。  「お魚、焼けばまだありますから、いっぱい食べてくださいね」  「いただきまーっす」  「いただきまーす」 (ポロロン)  みなが料理を口に運んだそのとき、楽器の音が響いた。夜闇の中にすっと浮 かび上がったのはロクサーヌだった。  「お魚、お好きでしたよね?」  ウェンディが尋ねた。  「いつもいつも、すみませんねえ」  ロクサーヌは、たき火をはさんでリュウイチの正面に腰を下ろした。  「ロクサーヌ、あんた、いっつもうちで晩御飯食べてるわね」  フィリィがロクサーヌの周りを飛びながらぶつぶつ言っている。他のメンバ ーは、みなロクサーヌの居候ぶりに慣れてしまって何も言わない。ウェンディ も食事を作るときはロクサーヌの分まで用意しているほどだ。  「ロクサーヌ、次の目的地さあ、海賊王の島というくらいだから海にあるん だろう?」  リュウイチはたき火越しに聞いた。  「ええ、そうですよ」  「なら、ちっとも海が見えてこないってのはどういうことだい。本当にこの 街道で正しいのか?」  「仕方がありません。馬ならともかく、みなさん歩きですからねえ」  「まだ先は長いんですね」  ウェンディが小さくため息をついた。  ふと、何か見えたのかリュウイチはすっと闇の方に目を走らせた。  「静かに!」  リュウイチは小声で話を制すると、道の方を指さした。  道の方から聞こえてくる下草を踏む音は、今や全員の耳にはっきりと聞こえ ていた。こっそりと近づいてこようという感じの足音だ。この手の近寄り方を する相手にろくなのはいない。  (・・・素人らしいが・・・油断はできないな・・・)  リュウイチは音を立てないようにゆっくり剣を握り、鞘をはずす。  キャラットは剣をつかむと素早く木の陰に隠れた。  メイヤーは食べながら読んでいたノートを手早くしまい込むと、小声で呪文 の詠唱を始めた。ウェンディもメイヤーの横について、回復呪文をいつでも唱 えられるように集中をはじめていた。 (ポロロン)  「お待ちなさい、心配は要らないようですよ」  ロクサーヌは手にした楽器を鳴らして言った。  たき火の明かりに浮かび上がったのはレミット-マリエーナだった。         §    §    §  「ウェンディ、器、まだある?」  「あ、はい」  「レミット、晩御飯、食べてくだろ?」  「そこまで言うなら食べていってあげるわよ」  レミットが相変わらずの怒った顔でいう。  「あの・・・そこまでって何も言ってないと思うんですけど・・・」  メイヤーがぼそりとつぶやいた。  フィリィは、ふくれっ面で飛び回っている。  「リュウイチ、こんなやつに食べさせることないわよ」  「なによ、このくそチビ妖精!」  「べーだ。わたしは妖精の中じゃ普通なの。あんたみたいに人間のチビとは 違うんですよーだ」  「な、・・・羽根むしってやるから下りてきなさいよぉ」  フィリィは、あかんべーしながらレミットの頭の上を飛び回っている。リュ ウイチはレミットの頭をてのひらでポンポンとたたいた。  「二人とも、喧嘩すんなよな。ほら、フィリィも下りておいで」  「子供扱いはやめてよね」  レミットがふくれっ面でリュウイチにくってかかる。フィリィはリュウイチ の肩に座ってもまだレミットにあかんべーをしていた。  「レミット、だいたいあんた、こんなとこで何してんのよ?」  「ふーんだ。あんたたち私に隠れて何かしようったって、そうはいかないん だから」  「誰が隠れてんのよ」  「まあまあ。いいじゃないか、別に。」  「リュウイチさん、レミットさんには甘いんですね」  新しい器を持って戻ってきたウェンディがつぶやいた。  「え?そんなことないと思うけど・・・あ、アイリスさんも食べていくで しょ?」  「あ、はい。いただきます。姫様、スープが冷めますよ」  「わかってるわよ。ふん、食べてあげるわ」  「ねえ、美味しい?そのお魚ね、ボクとリュウイチがとってきたんだよ」  キャラットがニコニコしながら尋ねる。  「まあまあってとこね」  「でも、パーティの他のみんなはどうしたのよ?」  メイヤーのその問いに、レミットは答えなかった。         §    §    §  食事が終わり、ウェンディはアイリスと片づけをしている。普段から一人で レミットの世話をしているだけあって、アイリスは手際よく片づけていく。  ロクサーヌはゆっくりとしたテンポの曲を弾きながら、何か叙事詩らしきも のを口ずさんでいる。キャラットはロクサーヌの曲を聞いているのか、それと も違う何かが聞こえるのか、目を閉じたまま木にもたれかかっている。  それぞれが自分の時間を自分なりに過ごしていた。  リュウイチは、たき火から少し離れ、ひとり剣を正眼に構えて精神を集中さ せていた。第二の魔宝を手に入れた頃からこの旅の意味を考え始めていた。魔 法の実在、異種族、妖精、魔族、そして望みを叶えてくれるという魔宝・・・ この世界に比べたら元の世界のなんと単調で平板なことか。ただ歳をとり、そ して・・・  自分の中にある魔法も、元の世界に戻ればおそらくは消えてしまうだろう。 呪文を唱えた瞬間に全身を満たす、あの熱く絶対的な力の感触、それをただの 記憶として残りの人生を送らなければならないのか。生まれて初めて感じた魔 法―あの純粋な力―の感触を捨てなければならないのか。 (俺は本当に帰りたいのか・・・魔宝があれば何でもできる、それならば!)  リュウイチは、ふうと大きく息をついた。剣を握る指に力が入る。  ふと背後に人の気配を感じてリュウイチが振り返ると、レミットがいた。  「リュウイチ、ちょっと話があるんだけど」  「ああ。何だ?」  ロクサーヌ以外の全員の目がリュウイチとレミットに注がれていた。リュウ イチは目の前のレミットをじっと見た。いつも怒っているレミットが一段と怒っ た顔をしている。  「ちょっと来てちょうだい。ここじゃ話したくないの」  「何だよ?一体。俺、何かしたか?」  「うるさいわね。黙ってついてきなさいよ、ばかっ」  「わかったよ」  リュウイチは剣を戻すと、すたすたと歩き始めているレミットを追った。リュ ウイチが声をかけてもレミットは黙ったままだった。リュウイチは何かレミッ トを怒らせるようなことをしたかと考えてみたが、思い当たる節はなかった。 森の小径を行くあいだ、月の光は木々に遮られ、ただ松明の炎があたりにゆら ゆらと影を遊ばせていた。  レミットは沢まで下りると転がっている岩の上に座った。  あたりはしんと静まり返り、かすかな水音すらはっきり聞こえる。リュウイ チはレミットの横に座った。  「何だよ?話って」  「リュウイチ、このあいだ言ってたこと、本当か?」  少しうつむいたレミットの口調は、怒っているというよりはむしろ迷ってい るようだった。  「ん?」  「ほら、その・・・いつでも邪魔しに来いって・・・」  「ああ」  「・・・・・・」  「なんだ、そんなことが聞きたかったのか」  「いや、その・・・」  「それとさ、その前に言ったことも本当だよ」  リュウイチはレミットの小さな肩を抱いた。レミットがびくっと体をこわば らせる。レミットはリュウイチの腕の中で小さく震えていた。  「あ・・・」  「可愛いよ、レミット」  「変なこというな、ばか・・・」  言い終わる前にリュウイチはレミットの唇をふさいだ。  「んっ・・・」  どれだけの間くちびるを重ねていたのかはわからない。リュウイチにとって 一瞬のような永遠のような不思議な時間が過ぎる。おそらくはレミットにとっ てもそうだったろう。  リュウイチはくちびるを離すと、レミットをじっと見つめた。月明かりと松 明に照らされたレミットは、子供の顔から女のそれに変わっているように見え た。  リュウイチの耳には、もはや沢の水音は聞こえなかった。耳に入るのはただ 自分の鼓動とレミットの吐息だけだった。  「レミット・・・魔宝で俺とおまえの国を作らないか」  「リュウイチ?」  「レミット、おまえが欲しい」  リュウイチは、答えを求めるようにレミットを見つめた。レミットはリュウ イチの首に抱きつくと小声で答えた。  「わたしも・・・リュウイチが欲しい」  二人が結ばれたのはその夜、その月の下のことだった・・・         §    §    §  リュウイチとレミットがキャンプに戻ると、レミットのパーティのメンバー が合流していた。ティナと若葉、そしてアルザはロクサーヌを囲んでお茶を飲 んでいる。  レミットは彼女らを見て、戻るなり文句を言った。  「んもう、遅かったじゃない」  「ティナさんが教会で気分悪くなっちゃって・・・」  「ほんま、もうちょい体力つけなあかんで」  「そうですね、ごめんなさい」  「ま、ええわ。それより姫さん、ええとこ見つけたったで」  「ほんと?」  アルザはレミットの周りで鼻をクンクンとさせていたかと思うと、リュウイ チの方を見てにやりと笑った。  「へーえ、リュウイチ、けっこうやるもんやなぁ」  (う、見透かされてる・・・)  リュウイチは返す言葉も見つけられず、困ったような照れたような顔で頬を かいた。  「まあ、なにをおやりになったのですか?」  「まさにナニをおやりになったんやけどな。若葉はお子さまやから、気にせ でもええねん。ま、わたしらの努力が無駄にならんで済んだっちゅうだけでも ええこっちゃ」  若葉は分からないという顔で、アルザとリュウイチをかわるがわる見た。  キャラットがニコニコしながらリュウイチに駆け寄ってきた。  「おめでとう、リュウイチさん」  「な、なにが?」  「だって、結婚するんでしょ?ボクも花嫁さんになりたいなぁ」  「結婚って・・・誰が?誰と?」  ふと横を見るとウェンディが今にも泣きそうな目でリュウイチをにらんでい た。  「ひどいです。今まで内緒にしてたなんて・・・そうやって私をのけものに して・・・」  「のけものにされてるのは俺の方だよ。いきなり結婚だとか内緒だとか・・ ・いったい何のことなんだよ?」  「リュウイチさんとレミットさんの結婚に決まってるじゃないですか」  メイヤーが呆れたような口調で言った。  (魔宝もまだ全部そろってないっていうのに・・・それに告白したのってつ いさっきだぞ。なんでいきなりそんな話になってんだよぉ?)リュウイチは頭 をかかえた。  「なーにがめでたいんだ?リュウイチ」  聞き覚えのあるその声にリュウイチが振り返ると、カイルがいた。  「だあ!カイルまで・・・なぜここに?」  「小娘の手下の後を付けてきたら貴様らがいたわけよ。俺様を出し抜こうな どとは千億万年早いわ」  「別に出し抜くとかそういうことじゃないって・・・」  「あの、千億万年なんて単位はないんですが」  メイヤーがぼそりと言う。  「ええい、うるさい!・・・それはともかくだ、リュウイチ、小娘と結婚す るということはだ、貴様は元いた世界に帰らないってことだよな。ということ は貴様が魔宝を求める理由もなくなったわけだ。これで残るは小娘ひとり、ふっ ふっふっ・・・大魔王様復活はもう決まったも同然だな!」  「あのなカイル、その件なんだが・・・」  「なんだ、貴様の持っている二つの魔宝をくれるのか?そりゃあ、ありがた い。奪い取る手間が省けるというものだ」  「そんなわけないだろ!俺、魔宝集めをやめるつもりはないから」  「何だとぉ?」  「そうすると、これからは8対4になるのですね」  事情を把握したらしい楊雲が口を開いた。  「ひきょうだぞ、リュウイチ!」  「魔族のおまえが言うか?」  「やかましい!うー、ものども、こうなったら、こやつらよりも先に海賊王 の島にたどり着くのだ。行くぞ!」  「いやよ。疲れてんだから」  いつの間にか焚き火のそばでくつろいでいたリラが、間髪を入れずに答えた。  「いいじゃないの。彼らと一緒なんだから少なくとも後れをとることはない わけだし」  同じく焚き火のそばでお茶を飲んでいたカレンはそう言うとマントにくるまっ て横になってしまった。  「だあっっ、てめえら、くつろいでんじゃねえ!」  「じゃ、カイル、俺らもそろそろ寝るわ」  リュウイチはそう言うと、レミットを目で捜した。目が合うとレミットはパ タパタと走り寄ってきてリュウイチの腕をとった。  「リュウイチ、いっしょに寝るんでしょ?」  「おいこら、あんまりくっつくなよ」  「いいじゃないのよ、ばかっ」  「それよりおまえ、なんか企んだだろ?」  「いいじゃない。結果的には同じことになったんだし」  「・・・そうだな」  二人はひとつのマントに仲良くくるまった。二人は幾度となく軽くくちびる を重ねていたが、やがてレミットは、リュウイチの腕枕で静かに寝息をたてて いた。 (俺とこいつの国・・・か)  リュウイチはしばらくの間レミットの寝顔を見ていたが、やがてレミットの 寝息に引き込まれるかのように眠りに落ちた。彼は剣と書を共に携えた王になっ た夢をみた。隣に座る后はもちろんレミットだった・・・  やがてリュウイチとレミットは西の新大陸を統べ、後の歴史書に「異界の新 王の時代」と呼ばれる時代の中心を歩むことになるのだが、それはまた別の話 である。 〜Fin〜