DressingRoom Doujin
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メイド・イン・トーキョー


 東京は千代田区神田……新旧かまわず取り揃えられた本の街として知られる
神保町の一角を、メイド服姿の少女が大きなスーツケースを引きずりながら歩
いていた。
 少女の整った可愛らしい顔立ち、濃い色の肌に透けるようなブロンドの髪、
青い瞳……リアリティというものから遠くかけ離れた、場違いとも言えるほど
の印象も、この街にあふれる本にとりつかれた人間の目にはほとんどとまらな
いようだった。

 やがて少女の足が、古ぼけたビルの前で止まる。

 人気のない、とうの昔にうち捨てられたオフィスビル風の建物に、少女はた
めらう様子もなく入っていく。少女の名はウェンディ・イアハート。遙か大英
帝国から九時間の時差を越えて日本にやってきた、大英図書館特殊工作部所属
の見習い工作員である。そしてこの古ぼけたビルこそ、大英図書館の現役トッ
プエージェント、読子リードマン所有のビルなのである。
 エージェント、通りのいい言葉で言えばスパイの所有するビルではあるが、
吊り天井やブービートラップのような仕掛けがあるわけではない。そのビルに
あるのは、ただただ、本、本、そして本……読子にとってそのビルの収容力が
必要だったのだ。
 ウェンディは、上司であるジョーカーの指示ではるばる極東の地までやって
きた。そして、その目的地こそが、この本にまみれたビルなのである。

 ビルはどのフロアも本が充満していて、もはや人ひとりがぎりぎり通れるけ
もの道しか残っていない。ウェンディは、どこか心安まるような紙の匂いを感
じながら歩を進める。エレベーターも一階に固定され、本置き場になって久し
い。ウェンディはスーツケースを引きずり上げながら階上へと向かう。

 屋上に続くドアを開けると、そこには一軒のプレハブ小屋が建っていた。そ
こが今の読子の住まい(というよりは、日本語のネイティブスピーカーにとっ
ては「ねぐら」の方が適切だろう)のはずだった。

 「読子さん、読子リードマン、いますか?」

 声をかけながらウェンディは、立て付けの大してよくなさそうなプレハブの
ドアを、ぼこぼことノックする。
 二度……三度……

 しかし、中から応答は無い。

 ノブに手をかけて引くと、ドアは小さくギィと音を立てて開いた。鍵はかかっ
ていなかった。
 入ってみると、部屋の中ではベッドの上で読子が本を一心不乱に読んでいた。

「いるなら返事ぐらいしてくださいよぉーーー」

 ウェンディが情けない声を出すが、もちろん返事はない。

 そしてふと室内を見渡して、読子以外の人間がいることに気がついた。いつ
も読子につきまとっている少女作家、菫川ねねねであった。ねねねは机に陣取
り、ノートパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。おそらく積み上げてあっ
た本をかき分けて、ノートパソコン一台分ぎりぎりのスペースを確保したの
だろう。ねねねの頭上では、不安定に本がぐらついていたが、ねねねは気にす
るふうもなく入力を続けていた。

 本を読む読子、そして本を書くねねね。

 このような状態の二人に対して、過去の経験から、ウェンディはどうするこ
ともできないことを知っていた。
 ウェンディは、上がり口の脇にスーツケースを置くと、部屋にあがった。あ
いかわらず二人はそれぞれの行為に没入している。

 きっと読子とねねねは、いつもこうしているのだろう。ウェンディは、部屋
の隅にぺたりと座り込むと、ふたりが気づいてくれるのを待った。

 陽が傾き、部屋の中がオレンジに染まる頃、部屋の隅でうつらうつらとし始
めたウェンディに、ねねねの声が突然飛んだ。

「ウェンディ、お腹空いた!! めしっ!!!」
「は、はいっ!!」

 不意に叫んだねねねの声に、おもわず反応するウェンディ。
(気付いてるならさっき返事してくれてもいいのに……)

「でも…私は読子リードマンに用があって来たのですが……」

 口をとがらせながらウェンディが答える。

「おなか空きましたぁーーー」

 情けない声の読子がこちらを見ていた。ようやく本から目を上げたかと思え
ば、声に負けず情けない顔になっている。読書という魔法が切れた瞬間に、空
腹から何から、すべての肉体的な疲労がのしかかっているのか。

(用事は……食事の後でもいいか……)

 ためいきをついて、ウェンディが答える。

「わかりました。何か買ってきます」
「お願いしますーー」

 部屋から出ようとするウェンディをねねねが呼び止めた。

「あー、出るついでに、アキバでノートパソコンのACアダプタ買ってきて。
バッテリーじゃさすがに無理っぽいわ……ザコン館あたりで聞けば分かるから」
「え? え? ええ????」

(ざこんかん?? あきば?)
 いきなりの謎の単語にとまどうウェンディのことなどお構いなしに、ねねね
は続ける。

「はい、これが地図。そんで、これがお金と機種名。領収書はレシートでいい
から。迷ったらタクシー使ってよし。オーケー?分かったら行く!」

 ひとしきりまくしたてると、ねねねは再びノートパソコンに向かって打ち込
みを始めた。
 ウェンディは肩をすくめて地図に目を落とした。ねねねの言ったザコン館と
いうのは、ここからほど近いアキハバラのコンピュータショップのことのよう
だった。アキハバラなら噂程度には聞いたことがあった。コンピュータと電化
製品の街だとか。

 ウェンディは渡されたメモと地図を、メイド服エプロンの前ポケットにしま
いこんだ。

「いってきまーす」

 やがて日が傾き、そしてすっかり沈んでしまってからも、ウェンディは戻ら
なかった……



 ようやくウェンディが帰ってきたのは、彼女が出かけてから2時間ほどして
のことだった。すでに外は夜のとばりが降りていた。
 がちゃりとドアが開く。

「遅ーーーい!」
「ご飯〜〜」

 返事はなかった。ねねねと読子が玄関に目をやると、半べそをかきながら
ウェンディが立ちつくしていた。

「……怖かったです……」

 さすがの二人も、ウェンディの様子がおかしいのが分かるとウェンディを部
屋に上げた。
 しばらくして、ようやく落ち着いたウェンディが口を開いた。

「太って眼鏡かけた人たちが『メイドさんハァハァ』って言いながら私の方を
じっと……」

 ねねねと読子は顔を見合わせた。

「『撮影いいですか』って新しい挨拶ですか?? コス…コスプレってなんの
ことですかーーー??? 日本って…日本って……」

 ねねねは思わず吹き出した。

「みなまで言うな……わかったから……」

 ウェンディをなだめながら、ねねねがウェンディの身の上に起きたことを説
明した。

「やっぱり……日本って変です……」
「まあねー。わたしもあの辺についてはそう思うけどさー」

 ねねねはウェンディの肩を抱くと、ぽんぽんと叩いてなぐさめた。

「ウェンディさん、もしかして、モテモテ?」

 読子がつぶやく。

「はぅぅぅ」
「せんせー、もう、せっかく落ち着いたのにー」

 ぐしぐしと鼻をすすりながら、ウェンディが小さく言った。

「お弁当、冷めちゃいます……」
「あ、うん、そうだね」

 ねねねは読子を促して居間のベッドの上にこたつ板を載せ、食事の準備をと
とのえた。ウェンディはその光景にちょっと驚いたが、部屋を見渡せば、食卓
などという、まともなものがあるはずもなかった。
 ウェンディが買ってきた弁当を、読子とねねねはあっという間に平らげてし
まった。

「そういやウェンディ、何しに来たの?」

 空腹が落ち着いたねねねが聞いた。

「機密です」

 ウェンディはつれなく言うと、読子の方に向き直った。自分が来た時点で、
バレバレなのはわかっていたので、ねねねの不在を待たずに切り出した。

「読子リードマン、あなたの補助として派遣されました。これから2週間、身
の回りのお世話をさせていただきます。コンディション確保が第一目的です」
「……決まったんですね」
「はい」
「ねえ、せんせ、今度はどこに行くの?」

 ねねねの目はすでに輝いていた。

「こればっかりは、先生にも教えられないんです。秘密なんですーー」
「あなたがいると、いろっんな意味で読子リードマンのためになりません。
とっとと自宅に帰ってください」
「なによー、メイドのくせに偉そーにーーー」
「違いますっ!これはジョーカーさんがぁ……」

 きゃいきゃいと終わりそうもない二人を、読子は困ったような苦笑いを浮か
べながら見ていた。

 ある、平穏な一日のことだった―――

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